スマホは好きな時に自分の世界に浸れる、というとても便利な道具。今や、いつでも、どこでも手放せないものになってしまいました。
最近、たまにはスマホを使わない時間があっても良いなと感じるようになりました。
スマホのために、知らず知らずのうちに、視野が狭くなっているのかも、と思ったのです。
散歩中の出来事。
①ある日の朝、道路に百円玉を2枚落ちているのを発見!。
ラッキーと思って拾いました。前日の雨でぬれていたので、Tシャツで表面を拭いてポケットに入れました。
ふと、目をやるとまた1枚。それも拾ってポケットに入れ、2,3歩進むとまた1枚。
結局、百円玉を7枚も見つけました。
(これだけ拾ってしまうと、ネコババするわけにも行かず、後で交番に届けました)
②別の日。
うっかりスマホを忘れたので、音楽なしで散歩していると、鳥のさえずりや風で木々が揺れる音が聞こえてきました。その音を聞くとなんだか、心が洗われるような気分に!「これぞ朝の散歩の醍醐味だ!」と一人で感動。
これまでは、音楽を聴きながら散歩していたので、見慣れている風景からそういった音が出ていることに気づかずにいたのです。
ここで思ったのが、スマホを手にしたがために、実は見逃していたことがたくさんあるんじゃないか?
例えば、 電車の中では皆スマホに夢中。そのため、目の前にお年寄りが立っても気づかない人が増えているらしい。
移動時間中はぼーっとしているより、スマホでSNSしたりニュースを見たりして、時間を有意義に使いたい。僕はそう思っていました。
実は、このぼーっとしている時間。意外と大切なのかも。
スマホに没頭して外の世界と接触しないのは、却ってつまらないことのような気がしてきました。
自分が考えられる世界なんて、せいぜい半径2キロ程度。
ニュースは、興味あること限定で配信されるし、SNSも自分の好きなこと限定の世界。使えば使うほど、自分の好みにあった事に限定された情報ばかりになってしまう。
スマホに触れている時間は、自分の興味の範囲内のことしかやってないんだよなあ。
しかし、自分の興味の外には、その何億倍も広くて多様性のある世界が広がっている。
その世界を知らずに毎日過ごすのはもったいない。
「目の前に広がる心理の大海原を前にして、私はその浜辺で貝殻をあつめているようなものだ」
と、言っているのだから、僕のような人間の興味の範囲なんて、貝殻どころか浜辺の砂粒程度でしょ。
そう思うと、自分の興味の中だけで生きるのは、あまりにも世界が狭すぎる。
生きている間に、世の中の全てのことに触れられるわけではないけど、少しでも自分が知らないことに目を開くことは、自分の世界に閉じこもるよりよっぽど楽しい。
あくまでも暇つぶしの手段であって、夢中になるほどでもないんだよなあ。
もし、僕がスマホを見ながら歩いていたら、百円玉を拾うこともなかったし、見慣れている風景に感動することもなかった。
暇つぶしのために、人生を浪費するのはもったいない。
たまには、スマホをポケットに入れて外の世界を見てみることにしよう。