暴力は悪だと誰もが言う。
もし、それが権力を持った人間からの一方的なものだとしたら、被害者は逃れるすべがなく、ときには最悪の事態を引き起こすことがある。ところが不思議なことに、野球という閉ざされた世界では、最近まで「指導」という名の暴力が容認されていた。
立教大学での野球部経験がある筆者は、暴力を振るう側の心境を掘り下げ、暴力がなかなか撲滅できない背景に迫る。
全7章のうち前半の1~5章には、様々な形のしごきや暴力が延々と出てくる。無抵抗な人間に対する仕打ちは、犯罪とも呼べるようなもので嫌悪感すら覚える。
ただ、その行動の奥には「厳しいことに耐えた人間は強くなる」という信念が見られ、簡単には否定出来ない一面があることは事実。
6章では、日本での理不尽な体質に対するアンチテーゼとして、ドミニカ共和国での指導方法が紹介されている。
暴力も厳しい上下関係もなく、あくまでも選手主体のスタイルで選手を育成する。そこには、スポーツの本質を踏まえた、本来の教育の姿があるように思える。
しかし、本当に暗惨たる気持ちになるのは、暴力に頼らない新しい指導法が紹介されている最終章を読んだとき。
そこには確かに暴力はないが、言葉で追い込んだり、試合後に長時間ダッシュを課すなど、相変わらず理不尽で強権的な指導が続いている。
ドミニカ共和国での、選手をリスペクトする指導法を知った後では、この新しいコーチングスタイルでさえあまりにも選手の意思が蔑ろにされていることに唖然とする。
本当の指導とは何か、スポーツ本来の姿とは何か、そういった疑問を持つ人々にはぜひ手にとって貰いたい一冊です。