【映画】ゲッベルスと私:今の場所で最善を尽くすことだけで良いのか?深い問いを突きつける

 

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うーん、と唸ってしまいました。

 

「与えられた場所で最善を尽くしなさい」。物事に対する大事な心構えとして、多くの人に支持されている考えです。

しかし、この映画はそれだけではダメなんだと、訴えてくる。

 

一人一人が真面目に職務を全うすることが、とてつもない悲劇を生んでしまう

ナチス政権下、一般のドイツ人には何が出来たのか。考えれば考えるほど、答えが出てこない。深く問いかけてくる映画です。

 

ヒトラー時代、ゲッベルス宣伝大臣の秘書をしていた女性へのインタビューと記録映像で、全編が構成されています。恋人との出会い、仕事の話、家族、を交えて彼女の人生を振り返りながら、戦争に巻き込まれる一人の人間の姿を浮き彫りにしていきます。

インタビューの時の彼女の年齢は103才。高精度カメラが捉えた顔には、数多くの深いしわが刻まれている。そのしわが、あまりにも深いことに、最初は衝撃を受けた。

 

自分がやってきたことが、結果として間接的にユダヤ人大虐殺に荷担する事になった。後から、他人が批判するのはたやすい。「なぜ、そのとき声を上げなかったのか」。

 

これに対して彼女は、「私は、言われたことに対して最善をつくしただけ」と言う。当時の多くのドイツ人の素直な気持ちだろう。ユダヤ人が強制的に連れ去られていたことは、ドイツ国民の誰もが知っていた。

しかし、国民一がそれに意義を唱えることは無かった。与えられた自分の仕事を真面目に遂行していく。そこには、仕事に対する責任感や誇りのようなものがあったのかもしれない。

 

その姿は、あまりにも今の日本の会社員、ひいては自分の姿にダブり、胸につまされる。

 

映画の終わり近くで「知っていて黙っていた諸君も同罪だ」、という連合国側の言葉が流れる。これは正しい。あまりにも正しすぎる。

 

しかし、本当にその場にいる人が声を上げられたのか。

 

空気を読むことが幅をきかせている日本に置き換えてみると、「はい」と言い切る自信がない。

せっかくインターネットが発達したのに、却って自由な意見を抹殺する空気が高まった今の日本。

 

少なくともやらなければいけないことは、異端の声を受容すること、また、自分自身も勇気を持って声を上げること。

 

職務に対して最善を尽くすことだけで、本当に良いのか。

そのような倫理的な問いを、常に自分に課すことが出来るのか?一人一人が、日常的にそのような問いを発することが出来るのか。

難しい問題のような気がしてなりません。

 

一つ言えること。それは、70年以上経った今でも、過去の過ちを風化させようとしない姿勢。欧州の人達の本気度が分かります。