ご近所を清掃する人

朝、散歩をしています。
6時前に起きて家の周りを30〜40分くらい回ります。

そうすると、お年寄りの方々が庭の掃除や植木の水やり、ゴミ出しする姿をちらほら見かけます。

何日か見ていると、多くの年配の方々は僕には思いもつかないような行動をしていることに気づきました。

その人たちは、自分の敷地内だけでなく、付近の清掃もやっていたのです。
道路が汚れていればホウキできれいにし、空き地に雑草が生えていればきれいになるまで抜く。
自分の敷地でもないのだから、放っておけばよさそうなものなのに、淡々と草を抜いていました。朝早いので、たまに通る通行人以外は誰が見ているわけでもありません。ましてや、一銭ももらえない。

おそらく、昔の人達はこうやって地域社会を守り、育てていたんだろう。
自分の家ではなくても、地域が汚くなってくれば自ら清掃する。悪いことをする近所の子供がいれば自分の子ではなくでも叱り、困っている家があればできる範囲で手を差し伸べる。


最近は、若者と年配の人の世代断絶が昔より激しくなっているような気がします。若者世代から年配世代に対する反発は、時に感情的だと思えるぐらい激しくなっている。
TV・ネットやブログで発言するような著名人の多くは、恵まれた年配者の既得権益を取っ払えなどと、世代間闘争を煽るような発言を繰り返す。

若い世代・勤労世代も、インターネットやグローバル化の影響で様々な情報が手に入るようになり、自分たちが割を食っているように感じるのだろう。

しかし、本当にそうなのだろうか?

若者世代も、変わらなければいけないのではないか。
地域のしがらみを嫌って、隣の人の顔もわからないマンション生活を選び、地域社会との関係を絶ったのは自らの意思のはず。
家の前のごみ一つ拾うにも、清掃コストがかかる。困ったときに近所から手助けがないと、役所の制度を使わざるを得ない。
それら一つ一つが、社会のコストを増やすことになる。
それなのに、税負担が増える事には反対する。

今より貧しい時代。昔の人たちは、自らの工夫とやり方で一人一人が地域と共生していた。今のように、何でも世の中のせいにはしていなかったと思う。

1銭の金ももらえないのに、人知れず地域を支え・守っている多くの高齢の方々が、今でもいることを忘れてはいけないと思う。