【おすすめ本】不合理だらけの日本スポーツ界/河田剛

もう何年も前ですが、アメリカの女子陸上短距離選手(大学生?だと記憶してます)の話をどこかで読んだことがあります。

新しいコーチが来た最初の日。トレーニングの間、そのコーチはずっと選手の練習を見ていた。練習が終わると、選手はそのコーチにこう言ったそうです。

「1時間半のトレーニング中、あなたからは一言のアドバイスもなかった。あなたは何のためにここに来たのか?私のどこが良くて、何を直せば良いのか。それを言うのがあなたの役目ではないのか?」

(セリフはうろ覚えです。大体、このような主旨のことを言ったらしい)

 

この話を読んだ時、僕はぶったまげました。

普通、逆でしょ。

多くの日本人選手は、コーチ・監督から何も言われないようにと、びくびくしながら練習している。そこには明確な上下関係が存在しています。

 

選手がコーチ・監督にクレームを言うなんて、想像したこともなかった。

日本とアメリカのあまりにも大きいスポーツ文化の違いを知り、愕然としました。選手とコーチが対等に意見を交わす風土を持つこと、選手が自立した人間として競技に取り組んでいることに、衝撃を受けました。  

 

スポーツ大国アメリカ。

リオ五輪でのメダル獲得数は、金銀銅合せて計121個でもちろん世界一。日本の計41個に対して約3倍にもなる。

 

勝つために、どれだけ練習しているのかと言えば、日本と比較すると驚くほど少ない。

アメリカではジュニア時代から大学までは厳密なシーズン制がしかれている上に、練習時間の上限が決められていることもあり、年間通した練習時間は日本の半分にも満たない。日本の強豪校と比較すると、3分の1ぐらいかもしれない。

 

大学卒業後は別にして、10代から20代前半年代の練習量が半分以下なのに、メダル獲得数は圧倒的に米国が多い。この差は、どこに起因するのか?

 

そう言った疑問の一部に答えてくれるのが本書です。

 

著者は、日本で野球やアメフトを経験した後、スタンフォード大学フットボールチームのインターンコーチに就任。日米双方での経験を基に、アメリカと日本のスポーツ界を比較して、その課題と提言を行っています。

 

本書を読み進むにつれ、米の合理的な考え方とチャレンジを尊ぶ姿勢が、競技レベルの向上とスポーツ産業の隆盛の背景になっていることが見えてくる。

 

アメリカのスポーツ界には、強くなるため、上手くなるためには、何をすれば良いかを合理的に検証する姿勢が染みついている。日本のように、苦しくても理不尽な事に耐えるという考えは存在しない。

日本では一つのことを長い時間かけて突き詰めることが尊いとされる。そのためには、長い下積みや、様々な理不尽なことに耐えることが美徳とされる。

 

一方、アメリカでは最短で結果を出すためには何をすれば良いかが求められるという。

レーニングは苦しくなるためにやるのではなく、試合で結果を出すためのもの。科学的根拠の裏付けが、トレーニングには求められる。

 

当然ながら、1年生のボール拾いは時間の無駄だとして否定される。下級生は上級生に過度な「忖度」をする必要は無い。どちらも競技力向上には関係ないから。

高校野球で見られる投手の投球過多についても、お涙頂戴的発想ではなく科学的見地からその是非を考えようとする。

 

合理性を突き詰めようとする姿勢は、トレーニングだけでなく、指導者の育成、支援体制、部活動のシステム、全てに貫かれている。経験則だけに基づいた日本のスポーツ界が敵わないのも、当然だと思わされるほどその差は大きい。

 

マルチスポーツ制も、競技レベルの向上とスポーツ産業の隆盛に一役買っている。

米国ではシーズン制が徹底されているため、多くの選手が複数の種目に取り組む。これが、競技人口を増やすとともに、自分に適した種目の選択を促し、結果として競技レベルの向上に繋がっている。 

 日本では、一旦入った部活動は卒業まで続けることが尊いとされるが、アメリカでは、見込みのない競技に時間を費やすくらいなら、他の種目にさっさと転向するなり、学問や音楽など他に興味があることに時間を割くべきだとされる。マルチスポーツ制が、そういった様々なチャレンジを可能にしている側面があるようだ。

 

また、人はやったことがある事には自然と興味を持つ。

マルチスポーツ制によって人々が複数の競技に興味を持ち、それが観戦人口の増加に繋がっている。観戦する人が増えれば資金が流入しやすくなり、競技レベルの向上、さらなる観戦人口の増加という好循環を生み出し、スポーツ産業全体の興隆を支えているようだ。  

 

では、日本のスポーツ界をよくするためには、何が必要か?

筆者は、メディアリレーションの強化、マルチスポーツ制の導入、海外スポーツ界のリサーチ、スポーツ界全体の体制作り、とアメリカでの体験に基づき、様々な提言を行なっている。

 

 相次ぐスポーツ団体の不祥事、先生・生徒の酷使により限界が見えてきた中・高・大の部活動。至る所に、弊害が出てきている日本スポーツ界。

著者の提言には、日本のスポーツ界での実現に時間が必要ななものもあるが、少しずつでもとり入れることが、必要な時期に来ているように思える。  

 

本書の主張の奥には、筆者のスポーツに対する愛情と日本への誇りが垣間見え、腑に落ちるところも多い。

  

スポーツ好きな方には是非読んでいただきたい一冊です。